編集者の僕が実践してる「あとで3行」がSubstack発信を変えた話
「あとで書く」が没頭を深くする
実はこの記事、書くかどうか迷いました。「言語化と没頭」というテーマ、最近ずっと考えてきたのに、うまく言葉にできる自信がなかったからです。でも、その「迷いのわけ」が今日書きたいこととつながっていると気づいたので、書くことにしました。
没頭と発信、両立できないと思っていた
海のそばに移住してから、没頭する時間が増えました。海辺のカフェで波の音を聞きながら原稿を書く日もあれば、犬の散歩に没頭して、気づいたら1時間経っていることもあります。
同時に、「これは発信のネタになる」と考える癖も強くなりました。「没頭と発信」の2つは反対方向を向いている気がして、正直窮屈でした。
没頭に振り切れば発信は止まる。発信を意識すれば、没頭が薄まる。ずっとそう思い込んでいたんです。編集者を長くやっていると、この感覚はなおさら強くなります。
取材でも打ち合わせでも、頭のどこかで「これは記事になるかな?」を判定するくせがついているからです。判定しながら生きていると、目の前の時間そのものを味わい損ねる。
本当にもったいない話です。
「あとで書ける」という前提が、没頭を守る
以前、メルマガの読者さんから、こんな質問をもらったことがあります。
「没頭してる時間は、頭が真っ白になるくらいがいいんですか?」
答えは、半分イエスで半分ノーだと思います。目の前のことに沈むのはいい。でも完全に真っ白にする必要はなくて、「あとで書ける」という前提だけ、頭の隅に小さく置いておく。これだけで、没頭の質はかえって上がります。
その時、頭に浮かんだのは、こんなイメージでした。
◆Before:発信のことを考えると、目の前に集中できなかった
↓↓
◆After:「あとで3行書く」と決めてから、没頭中に発信を意識しなくなった
前提を先に決めておくと、その場では発信のことを忘れられる。あとから拾えばいいと信じられるからです。
判定する頭と、味わう頭は、同時には使えません。だったら、判定の役目をあらかじめ小さな約束ごとに肩代わりさせてしまえばいい。約束さえ守れば、あとは味わう頭だけ使っていられます。
では、どうすればいいのか?
思考の流れを分解してみます。
① 没頭に入る前に、3行の約束をする
・没頭が「終わったら3行だけ書く」と決めておく。多すぎると、没頭中に文章を組み立てを始めてしまいます。
② 没頭が終わった直後、引っかかりを1つだけ拾う
・表情でも、言葉でも、違和感でもいい。全部拾おうとすると、かえってどれも浅くなります。
③ 素材ではなく体験として思い出す
・書くために思い出すのではなく、もう一度その場に戻る感覚で思い出す。体験の温度がそのまま言葉に乗ります。
最初は「そんな簡単なことで?」と思うかもしれない。僕も最初は半信半疑でした。でも、この3つを続けているだけで、発信のネタに困ることがかなり減りました。
気づいたのは、没頭を怖がらなくていい環境を先に作ってしまえば、あとは勝手に言葉が育つということです。
AIに要約や整理を任せられる時代になった今、拾ってくる引っかかりの質は、自分の感性で確かめるしかありません。そこだけは代わりが利かない、いちばん人間らしい作業だと思っています。
実は…この記事自体が「あとで3行」から育ったものでした。迷いながら書き始めた1行が、気づけばここまで伸びていました。
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ぜひ、Substack一緒に頑張っていきましょう。
P.S.
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しばじゅんさん、おはようございます✨
これは今の時代、これからの時代の創作に対する大きなヒントになりそうですね。
今や自分の頭も外も情報で埋もれている時代。
些細なことほど人の心を震わせる材料になり得ることを
「あとで3行」ルールをもとに、忘れずにいたいものです☺️
しばじゅんさん、これはいま私に必要な視点でした。
>没頭に振り切れば発信は止まる。発信を意識すれば、没頭が薄まる。
まさにそこなんです。発信を止めないように頑張ることが、没頭の時間を削っている。
何でも発信の材料にしようとすると、人生がずっと「取材中」になるんですよね。映える写真をSNSに上げようとして、肉眼で味わうより先にスマホを向けてしまうような。
写真を撮る前に見る。言葉にする前に味わう。
自分の感性に向き合う時間を、大切にしていきたいです。